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最高裁判所第一小法廷 昭和58年(行ツ)29号 判決 1984年6月28日

名古屋市中区栄一丁目二九番二三号

上告人

長谷川清康

同所同番同号

上告人

長谷川弥希子

右両名訴訟代理人弁護士

竹下重人

名古屋市中区三の丸三丁目三番二号

被上告人

名古屋中税務署長

青木恒雄

右指定代理人

亀谷和男

右当事者間の名古屋高等裁判所昭和五六年(行コ)第二六号所得税更正処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五七年一二月二三日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人竹下重人の上告理由について

所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 角田禮次郎 裁判官 藤崎萬里 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一 裁判官 矢口洪一)

(昭和五八年(行ツ)第二九号 上告人 長谷川清康 外一名)

上告代理人竹下重人の上告理由

原判決および原判決が引用する第一審判決が、上告人長谷川清康のした本件商品先物取引又は所得税法上の事業に該当しないとの判断を前提として上告人らの請求を棄却したのは、所得税法上の「事業」の解釈を誤った違法がある。

次下詳述べる。

一、所得税法二七条一項は事業所得の定義を示し、所得税法施行令六三条は事業の種類を例挙しているが、そのいずれにおいても「事業」そのものの定義を示してはいない。

したがって、所得税に関する法令の解釈として「事業」とは何であるかを確定しなければならないのであるが、その手がかりとなるのは施行令六三条一二号に示された「対価を得て継続的に行なう」という文言である。

二、したがって、所得税法上「事業」の概念を確定するには右の「対価を得て継続的に行なう」という文言の内容と所得税法が所得の種類を一〇種に区分し、それぞれについて所得金額の計算方法を異にしていて、その一種として「事業所得」を掲げていることの立法趣旨等を考慮しながら、最終的には社会通念によって定めざるを得ない。

三、所得税法が事業所得について、青色申告の制度を定め、純損失の繰越・繰戻等によって、いわゆる継続企業の損益とそれに対する租税負担とを長期に亘って合理化することとしていることにてらせば、同法上「事業」というに該るためには、継続性が要求されることは当然である。

四、裁判例において「事業所得とは自己の計算と危険において独立して営まれ、営利性・有償性を有し、かつ、反覆継続して遂行する意思と社会的地位とが客観的に認められる業務から生ずる所得をいう」とされる(最高裁昭和五六年四月二四日第二小法廷判決・民集三五巻三号六七二頁)。

このような理解は事業所得と給与所得との区別・事業所得と譲渡所得との区別等を明らかにしようとする場合に、何の支障もなく通用している。

五、ところが、有価証券の信用取引あるいは商品先物取引の清算による損益が問題とされる事案では、右のような一般的理解に他の判断要素が附加されることになり、その附加された要素が、恣意的な解釈をもたらしているように思われる。

六、本件原判決も「本件商品先物取引の回数、数量ならびに金額等によれば、営利性、有償性、反覆性、継続性は認められるけれども」としながら、上告人長谷川清康が二つの会社を経営しており、その事業経営に専念し、生活の資をその給与やその会社の利益配当で得ていること、本件商品先物取引のための人的、物的設備を有しないこと、商事会社の外務員の協力により情報を得て、電話で注文するという方法で取引をしたこと等を、消極的要素として指摘し、結局「本件先物取引は社会通念上所得税法令にいう「事業」と認めるに足りない」と判示した。

七、これとの比較において裁判所に表われた課税処分を検討してみると、証券取引、商品取引の清算によって利益をあげている場合には、これを事業所得であるとする課税処分がなされ、その課税処分を争う納税者がそれらの信用取引のための人的、物的設備をもたず、自己は他に職業を有しているから、それらの信用取引による利得はその投機的な性格にてらして、一時所得であると主張したのに対し、事業であるためには営利性、有償性、継続性があれば足りるのであって、そのための人的、物的設備があることも、またそれがその者の本業としてされていることも必要ではないとし(最高裁昭和四七年一一月九日第一小法廷判決税務訴訟資料六六号九四〇頁、名古屋高裁金沢支部昭和四七年二月二八日判決行集一九巻一、二号五六七頁)事業設備も有せず自己資金でした投機取引であるという主張に対しては会社を退職した者が、生計の資を得るために、専念したから事業であるとし(最高裁昭和五三年二月一四日第三小法廷判決税務訴訟資料九七号一七三頁、東京高裁昭和五一年九月一三日判決、税務訴訟資料八九号六四三頁)、いずれも課税処分を維持している。

これらの事案のうち、前者の取引形態は、上告人長谷川清康のそれと極めて類似しており、後者の事案では、納税者が他に職業を有せず、先物取引に専念した点で上告人長谷川清康の場合と異なるにせよ、その取引回数、取引金額において上告人のそれよりも小規模のものであることは、原審において上告人らが指摘したとおりである。

これらの事例と上告人長谷川清康の事案との顕著な差異は、前二例は利益を挙げたものであり、上告人長谷川清康は係争年度において損失を生じていたということである。

八、ところが有価証券の信用取引をして損失を生じた納税者がその損失を事業所得計算上の損失であるとしてした申告につき、これを雑所得計算上の損失であるとした更正処分について、裁判例は「事業」判定の一般基準としては、冒頭に引用した判決と同旨の論を繰返しながら具体的には「その納税者が会社の代表取締役であり、そのことによる所得で生活を維持していること、証券の信用取引に人的、物的設備を有せず、外務員の協力によって取引をしていたこと」等をあげて「本件取引は社会通念上いまだ事業とは認められない」とした(最高裁昭和五一年六月二五日第二小法廷判決税務訴訟資料八九号六九頁、東京地裁昭和四八年七月一八日判決、税務訴訟資料七〇号六三七頁)。さらに甚しい事例では「一定の経済的行為が反覆、継続して行われることによって事業として社会的客観性が認められうるというためには、相当程度安定した収益を得られる可能性がなければならないと解される。しかるに株式の信用取引においては取引から六ケ月に、その当時の株価如何に拘らず、決済を強制されるため、その間の株価の変動によって損失を生ずる危険が大きくまた、当初に委託証拠金として支出する資金の量に比して多額の取引が可能であるため、損失の額も大きくなりうるのであってこの点において……投機性の著しいものとみる外はなく、これを生計の主たる手段とするようなことは極めて危険であって……」などと説き(大阪高裁昭和五〇年三月二六日判決、行集二六巻三号三九頁、最高裁昭和五三年一〇月三一日第三小法廷判決、訟務月報二五巻三号八八九頁)投機性、損失の危険性の高いものは「事業」性を有しえないかのような論旨を示している。しかも、他方納税者が、商品先物取引の投機性を主張すると裁判所は「商品先物取引においては、個々の顧客が清算差益を受けるが否かの確率は基本的には五分五分であって……、これを他のギャンブルと同一視することはできない」として事業性を認めている(前掲静岡地裁昭和五〇年一〇月二八日判決、訟務月報二一巻一三号二八〇頁)。

これらを総括すると、税務署長は、証券信用売買、商品先物取引による損失を生じた納税者について、その損失を他の所得と通算することを拒否するために、それらの取引行為の形態、継続性の如何にかかわらずその損失を雑所得計算上の損失として課税を強行していることに帰着する。

そして、その際の「事業」の解釈は、恣意的、御都合主義的であって何ら統一的基準を示していない。本件原判決もその例外ではない。

九、そもそも現時点におけるいわゆる「相場」としての信用取引は、取引市場が整備され、市場において自ら取引することのできる者の資格は限定されており、一般顧客はこれらの有資格者の手を介してのみ売買をすることができるのであり、それらの者と顧客との係わりは、外務員から資料、情報の提供をうけ更に自己の研究の結果と経験の集積に基く決断によって多額の取引をするのであるが、その取引(注文)は市場の立会時間内に電話でするという手段によるものであること、公知の事実である。

したがって、納税者に人的、物的設備が欠けていること、その取引のために費した肉体的労力、時間が少いこと等を重要視して事業性に欠けると判断することは、社会的通念に反する。

本件原判決もこの誤りに陥って上告人長谷川清康のした本件商品先物取引が所得税法令上の事業に該当しないとしたものであり是正せられるべきである。

以上

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